孫と菩提梯を登り「身延山大本堂」へお参りに感激。
孫と身延山久遠寺へ参拝
2013.07.29~31
★ たとえ何処にて死に候とも、九ケ年の間、心安く法華経を読誦し奉り候山なれば、墓をば身延山に立てさせ給え。未来際まで心は身延山に住むべく候 ★ 波木井殿御書

身延山の蓮の華が迎えています

身延山久遠寺大本堂のご内陣
730数年のむかし、身延山にお住まいされた、日蓮大聖人さまは身延山で、9年ケ年ご在世され、この山を一歩も出ることなく、お弟子やご信者たちを指導しながら過ごされ、心ゆくまで法華経を読誦され心魂を留めると云われた有り難いお山です。
★ 此山には、妙法の五字を唱へずと云ふ事なし、日蓮が弟子檀那等は、此山(身延山)を本として参るべし、此即霊山の契也。★ 波木井殿御書
日蓮大聖人のご生涯のうちで、もっとも安らかな期間であり、永遠に魂を留めると、遺言されたお山に、幼稚園児の四歳の孫が身延山へお参りに行きたいと言いますので、7月29日~7月31日で、日蓮宗の総本山「身延山久遠寺」「思親閣」「七面山」へ孫と三人で霊山の契を結ぶお参りが出来ました。

身延山大本堂の前で

身延山久遠寺五重の塔で
★ 身延山総門と山門をくぐる
29日午後2時頃に着きました。身延山に入り最初にくぐるのが総門で、この門をくぐれば、全ての人々が法華経のもとに救われる関門というようにいわれています。孫と一緒に南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え写真を撮りました。
細長い町並みを過ぎると、写真のように間口23間(46m)奥行(14m)豪壮な山門の前に出ます。山門楼上に、十六羅漢を安置してあり、別名「羅漢門」と言われているそうです。

身延山久遠寺総門前で 久遠寺山門前で 身延山の全景
★ 菩提梯を登り「久遠寺大本堂」へお参り
その山門をくぐると、菩提梯の踏み込みが高いといわれている石段を上がらなければ、大本堂や祖師堂へお参りできません。
この石段は「菩提梯」といわれ、徳川家三代将軍家光の時、佐渡の仁蔵という人が発願し、日蓮大聖人へのご報恩と先祖の菩提供養のため、子孫まで数代かかり成し遂げたそうで、高さ58間(116m)段数で287段石段を登り切れば涅槃に達するといわれる有り難い石段で、猛暑のなか孫と悪戦苦闘でこれを登りきり、五重塔が迎える久遠寺に無事着き、大本堂で祈願ご回向を受け3人でお参りすることが出来ました。

菩提梯を登っています 菩提梯を登り感謝のいのり 菩提梯を下っています
★ 至孝の霊場「思親閣」へ登詣

雲に隠れた富士山

奥の院思親閣をあとに

ロ―プウェイを降りる孫 信行道場の門の前で ご廟所へお参りする参道
その日のうちに、身延山の奥の院いわれる、日蓮大聖人さまの御両親追慕至孝の霊場へロ―プウェイで登詣し、東谷の宿坊「覚林坊」へ到着。手作りの湯葉を使った精進料理は格別でした。
私共は、本年の3月に参拝していたので、この度の登詣は予期せぬ不思議なご縁を与えて下さったのだと感謝しています。
孫の将来の糧になり、これからの僧風教育につながることとだと受け止めて、新たな思いで、翌朝、5時30分から始まる「朝勤」にお参りし、日蓮大聖人さまの御前に跪づきて、孫がみほとけのご縁に結ばれて仏道修行成就を願い請願しました。
お参りでは孫が、大太鼓の音や大勢の若いお坊さんのお経にびっくりしていましたが、お題目が上がると自分も大きな声を出して「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」と一心に唱えていました。子供なり体感し感動したことだと思います。
★ 「ご廟所」「ご草庵」へ参詣

日蓮大聖人の御廟所参拝

孫がたたく木鉦でお参り
西谷に向かい身延川の小流にそって、霊山橋を渡り「ご廟所」「ご草庵」へ着き、正面に拝殿があり正面に着座し霊山の契を結ぶことができ、宗祖が心ゆくまで法華経を読誦された霊域に浸りながら、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え、孫が木鉦をたたき直参したことや、このたび体感したさまざまな様子を発信しました。
★ 遇あい難き仏法に値あい奉たてまつれり
孫が「身延山にお参りしたい」と叫んだこのたびの出来事を思うと、身延山で日蓮大聖人さまに直参し、じじ、ばば、ぼく「お坊さん」になるんだ。そのことばでした。その声とは、天のまねきの声かと受け取り、孫とともに、3日間身延山にお参りで得た「遇あい難き仏法に値あい奉たてまつれり」の真意に感謝することばかりでした。

お万さまの奉納の大梵鐘で お万さまの立像 七面山登詣の門
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2013.07.29~31
★ たとえ何処にて死に候とも、九ケ年の間、心安く法華経を読誦し奉り候山なれば、墓をば身延山に立てさせ給え。未来際まで心は身延山に住むべく候 ★ 波木井殿御書

身延山の蓮の華が迎えています

身延山久遠寺大本堂のご内陣
730数年のむかし、身延山にお住まいされた、日蓮大聖人さまは身延山で、9年ケ年ご在世され、この山を一歩も出ることなく、お弟子やご信者たちを指導しながら過ごされ、心ゆくまで法華経を読誦され心魂を留めると云われた有り難いお山です。
★ 此山には、妙法の五字を唱へずと云ふ事なし、日蓮が弟子檀那等は、此山(身延山)を本として参るべし、此即霊山の契也。★ 波木井殿御書
日蓮大聖人のご生涯のうちで、もっとも安らかな期間であり、永遠に魂を留めると、遺言されたお山に、幼稚園児の四歳の孫が身延山へお参りに行きたいと言いますので、7月29日~7月31日で、日蓮宗の総本山「身延山久遠寺」「思親閣」「七面山」へ孫と三人で霊山の契を結ぶお参りが出来ました。

身延山大本堂の前で

身延山久遠寺五重の塔で
★ 身延山総門と山門をくぐる
29日午後2時頃に着きました。身延山に入り最初にくぐるのが総門で、この門をくぐれば、全ての人々が法華経のもとに救われる関門というようにいわれています。孫と一緒に南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え写真を撮りました。
細長い町並みを過ぎると、写真のように間口23間(46m)奥行(14m)豪壮な山門の前に出ます。山門楼上に、十六羅漢を安置してあり、別名「羅漢門」と言われているそうです。



身延山久遠寺総門前で 久遠寺山門前で 身延山の全景
★ 菩提梯を登り「久遠寺大本堂」へお参り
その山門をくぐると、菩提梯の踏み込みが高いといわれている石段を上がらなければ、大本堂や祖師堂へお参りできません。
この石段は「菩提梯」といわれ、徳川家三代将軍家光の時、佐渡の仁蔵という人が発願し、日蓮大聖人へのご報恩と先祖の菩提供養のため、子孫まで数代かかり成し遂げたそうで、高さ58間(116m)段数で287段石段を登り切れば涅槃に達するといわれる有り難い石段で、猛暑のなか孫と悪戦苦闘でこれを登りきり、五重塔が迎える久遠寺に無事着き、大本堂で祈願ご回向を受け3人でお参りすることが出来ました。



菩提梯を登っています 菩提梯を登り感謝のいのり 菩提梯を下っています
★ 至孝の霊場「思親閣」へ登詣

雲に隠れた富士山

奥の院思親閣をあとに



ロ―プウェイを降りる孫 信行道場の門の前で ご廟所へお参りする参道
その日のうちに、身延山の奥の院いわれる、日蓮大聖人さまの御両親追慕至孝の霊場へロ―プウェイで登詣し、東谷の宿坊「覚林坊」へ到着。手作りの湯葉を使った精進料理は格別でした。
私共は、本年の3月に参拝していたので、この度の登詣は予期せぬ不思議なご縁を与えて下さったのだと感謝しています。
孫の将来の糧になり、これからの僧風教育につながることとだと受け止めて、新たな思いで、翌朝、5時30分から始まる「朝勤」にお参りし、日蓮大聖人さまの御前に跪づきて、孫がみほとけのご縁に結ばれて仏道修行成就を願い請願しました。
お参りでは孫が、大太鼓の音や大勢の若いお坊さんのお経にびっくりしていましたが、お題目が上がると自分も大きな声を出して「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経」と一心に唱えていました。子供なり体感し感動したことだと思います。
★ 「ご廟所」「ご草庵」へ参詣

日蓮大聖人の御廟所参拝

孫がたたく木鉦でお参り
西谷に向かい身延川の小流にそって、霊山橋を渡り「ご廟所」「ご草庵」へ着き、正面に拝殿があり正面に着座し霊山の契を結ぶことができ、宗祖が心ゆくまで法華経を読誦された霊域に浸りながら、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え、孫が木鉦をたたき直参したことや、このたび体感したさまざまな様子を発信しました。
★ 遇あい難き仏法に値あい奉たてまつれり
孫が「身延山にお参りしたい」と叫んだこのたびの出来事を思うと、身延山で日蓮大聖人さまに直参し、じじ、ばば、ぼく「お坊さん」になるんだ。そのことばでした。その声とは、天のまねきの声かと受け取り、孫とともに、3日間身延山にお参りで得た「遇あい難き仏法に値あい奉たてまつれり」の真意に感謝することばかりでした。



お万さまの奉納の大梵鐘で お万さまの立像 七面山登詣の門
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